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/Oct 17, 2011

少女たちの平行世界 ー神話 ポスト震災 未来ー (大槻香奈 展「乳白の街」について)

ニュートロン東京にて、大槻香奈 展「乳白の街」が開催中です。
素晴らしい展示でした。


大槻香奈さんの展示「乳白の街」について。

「乳白」とはソーシャルネットの比喩。乳白ガラスは外の風景の揺らぎに関わらず、光そのものを均一に部屋の中に拡散することが出来る。ソーシャルネットも同様に誰にでも平等に、情報の発信と共有、そして連帯の機会を与えてくれる。

乳白ガラスもソーシャルネットも「人の創りしもの」だ。「自然」や「外の風景」や「社会」など、我々(主体)が<選べない与件>である<外部>の不条理を引き受けた上で、その中から希望を見出すこと。この態度に社会学者の宮台真司氏が言うところの「ポスト震災の意味論」に近いものを感じた。 

魔法少女まどか☆マギカのまどかは、世界の摂理<システム>が、予め恣意的に設計されていたことに気づく。我々も3.11によって我々を取り巻く社会<システム>が様々な利害関係によって恣意的に設計されたものだと気がついた。
まどかも、大槻香奈も、その不条理を引き受けた上で、希望を作り出す。

今回の大槻香奈さんの展示には、まど☆マギと共通する要素がいくつもある。大槻さん本人もそう思っているようで、まど☆マギを見たとき、自分がやりたいことを全部やられてしまった、と感じたという。つまり、まど☆マギを見る前から彼女は「ポスト震災の意味論」的なものを感じていたということ。

これはシンクロニシティ(共時性)。3.11と時を同じくしてまどか☆マギカが現れたように、90年代にはオウム地下鉄サリン事件と時を同じくしてエヴァンゲリオンが現れた。つまり、大槻さんは時代の無意識を捉える感度が高いということ。アーティストとして得難い素晴らしい資質だ。


最近の大槻さんは、少女の周辺にデジタルな質感のノイズを描写した作品を多く描いていてる。これは生身の肉体とネットの中の自分が重なった状態で1つの人格が形成されているということ。呼吸をするようにツイッターで自らの思考を発信している大槻さんだからこそ、この表現にはリアリティを感じる。

だが実際の作品は全てアナログで描かれており、批評家の宇野常寛氏による「虚構が現実をハックする」「アーキテクチャによっていかに身体性を引き出すか」云々の議論に当てはめるなら、生身の身体か虚構、どちらか一方に偏ることなく、虚構によって効率的に身体性を引き出すという、大槻さんの柔軟な姿勢が見て取れる。

このように、大槻さんの作品は現代の様々な最先端の潮流といくらでも結びつけて語ることが可能だ。どういうことか。それは彼女が真に現代的な作家、正しく現代美術作家であるということの証左。だが、ただ単に「現在」を描いているだけではない。


今回の展示は配置も素晴らしい。1Fは未来、2Fは現在を表現しており、3Fは時間の概念がない世界、まさに「あっち側」「乳海攪拌」の世界そのもの。
その霊的な空間である3Fの最奥には「白い消滅+」という作品。1Fから乳白越しに訪れる者を見つめていた少女が、ここで乳白の中に消滅する。

このナラティブ(物語的)な空間演出によって、観客は、神話の世界、3.11後のこの世界、未来の世界を、「同時に」経験する。

大槻香奈は、ソーシャルネットからヒンドゥー教の天地創造神話である乳海攪拌を、時間軸とは無関係な共感覚によって接続し、時空の概念を超えて平行世界を描いているのだ。


大槻香奈展「乳白の街」は時空を超越した感性で、ポスト震災=「恣意的に設計されていた選べない与件が可視化された世界」を引き受け希望を描く。

いま、ニュートロン東京は、過去現在未来全ての時空への回路が開かれている。
この空間がフォーマットされてしまう前に、もう一度足を運んでみたいと思う。







いやはや、マジで良かったです。必見ですよこれ…。

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